「くそ〜。ハル飯食えって」
俺はわざわざ日本食を用意してハルの口に運んでいるが口に入れ飲み込んだと思った途端、ゲーと吐いてしまう。
「なぁ、点滴だけじゃ必要な栄養は摂れても、内臓が弱っちまうんだよ」
優しく話しかけながら、ドロドロにした米をスプーンで口に入れる。
顔を背ける訳ではなく、おとなしく口に入れるがやっぱり吐く。
「ハル〜・・鼻からチューブで入れられたくはないだろ。
だからほら、ちゃんと口から食えって」
苦しそうに吐いた後、ハルは何も言わずに目を閉じる。
「こら!まだ飯の途中だ。寝るなバカ」
肩を揺すってハルを起こす。
「ほら、ちゃんと食わねーと、ハルの大事なアキも悲しむぞ」
「あき・・」
ふと、ハルの目が開いた。
「そうだ、アキだ」
俺はハルが唯一反応を見せる『アキ』の言葉を使い、閉ざした意識の中に逃げ込もうとするハルを呼び戻す。
「あき・・」
ハルはその言葉を口にすると、またハラハラと涙を流す。
「だぁー。もう泣くなって。飯が食えなくなるだろ」
俺は持っていた食器を置き、ハルの涙をティッシュで拭いた。
「吐いて汚れちまったし、風呂にするか」
風呂の途中でハルがまた眠ってしまってので、ベッドに寝かせた後俺は他の担当の犬の所へ向かった。
「よぉ、ハーベイ調子はどうだ?」
この犬は主人に薬漬けにされて幻覚に狂い、ここに連れて来られた。
「虫がいる。壁からどんどん湧き出てきやがる。部屋に火を放ってくれ。
みんな焼き殺してやる」
キィーと叫び、部屋の中をグルグルと歩き回る。
「ハーベイ、オムツを外すな。虫に大事な所を食われちまうぞ。
それに垂れ流してると、本当に虫がわく」
ベットに座らせようとすると、ここにも虫がいると、ひたすらシーツを掃う。
「薬が抜けても、脳がいかれちまってちゃどうしようもねーな」
「ライター持ってないのか?このシーツを焼いてくれ」
「あいにく禁煙中で、ライターは持ってねーんだわ」
ハーベイに使えない奴だと言われ、苦笑いしてると携帯が鳴った。
「はぁーい。あなたのドクター、エンリケ」
「ふざけてないで、すぐハルの所に戻れ。ひきつけを起こして処置中だ」
「くそっ!」
俺は急いで特別室のハルの元へ向かう。
「ハル!」
部屋に飛び込むと、ベッドサイドに看護師とアクトーレスが居た。
「エンリケどこ行ってたんだ」
「担当してる犬はハルだけじゃないんだよ。それでハルの状態は?」
「あぁ、今とりあえず落ち着いた」
「何があった?」
俺は看護師に尋ねる。
「わかりません。オムツを替えていたら、突然ひきつけを起こしたので、
あわててコールしたんです」
「オムツを?」
看護師は「はい」と頷く。
「それだけか?」
「えっ?」
「オムツを替えただけか?他に何かしたんじゃないのか?」
「俺が何かしたって言うんですか?!」
看護師は心外だと言わんばかりのリアクションをする。
「おい、エンリケ」
アクトーレスが俺をたしなめる。
「ハルはプレミア犬だ。それにオムツの下には例の白粉彫りが隠れてる」
白粉彫りの言葉にアクトーレスが「あっ」と看護師を見る。
「温かいおしぼりで拭いただけです。本当です!」
看護師は慌てて弁解し始める。
「それで、お望みの物は拝めたか?」
「蝶を・・どこに刺青があるのか分からなかったので、オムツで隠れてる
所を前から順番に拭いて、後ろにもあるかもしれないと思って
体を横向けて尻を拭き始めたらひきつけを起こして・・」
「後ろに絵はなかったろ。どこまで拭いた?」
「えっ?」
「ケツの穴まで指入れてキレイにしようとしたんじゃないか?お前なかなか根性あるな。パテルの犬だぞ。何かあったらどう責任取るつもりだ?自分が犬になる覚悟があるのかよ」
看護師は自分のしでかした事の大きさに気づき、震えるように首を振り
「すいませんでした!」と謝りながら部屋を出て行った。
「どういう事た? エンリケ」
「刺青に魅せられたんだろ。体に触られてハルが拒絶反応を起こしたんだ」
「だってお前も風呂に入れたりしてるんだろ?」
「俺はただ世話してるだけ。おそらく性的な接触に敏感に反応したんだ」
「抜け殻なのに?」
「ハルの場合は魂が体から出てない。逆に中に閉じこもってやがる」
「中に居るのか・・」
アクトーレスはマジマジとハルを見る。
「で、何か『アキちゃん』について分かったか?」
「あぁ、それなんだが。ハルの周りにいる『アキ』と言えば、古田章夫っていうインテリやくざくらいだ」
「アキオ?なんだ女じゃないのか」
「あき・・」
その声にベッドを見ると、ハルの目が開いていた。
「やっぱりアキには反応するな。で、そいつとハルはどういう関係なんだ?ハルの前の職業は確か理学療法士だろ?やくざとどんな接点があるんだ」
「まだ詳しくはわからん。表向きは2人の繋がりを知る者がほとんど居ない」
「じゃ違うんじゃないのか?そのアキオって奴」
「あき・・」
「はいはい、わかったよ」
俺はハルの涙を拭き、瞼に口付ける。
「あっ、キスした。それは性的接触にはならないのか?」
「バカ言え。下心はないんだよ。ほらハルだってちゃんとわかってるから何も拒否反応しなだろう」
「俺にはその基準がよくわからん」
「いいんだよ。俺とハルの間でわかってれば。とにかくもう少し調べてくれ」
「それはいいが、でも分かったからって何になるんだ?」
「わからん。でも何かハルが出てくる手がかりになるかもしれん」
「わかった。その章夫って奴も調べるが、そいつの他に『アキ』が居ないかも調べてみる」
「頼んだ」
「あき・・」
「はいはい分かったよ。ハルの大事な『アキ』は、そのアキオなのか?」
俺はハルの頭を撫でながら考えをめぐらせた。
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